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私の人生を変えた天才

私の「横乗り系スポーツ」のルーツは、スノーボード。

 

スノーボードを通して学んだことが、私のサーフィンに大きく役立っているだけでなく、私の価値観さえも180度変えてしまった。

 

ニュージーランドに住んでいた頃、わずか半年間だけどメスベンという村をベースに真剣に打ち込んだことがある。

 

私がスノーボードを始めたきっかけは、一人の人との出会い。
彼と出会わなければ、私にサーフィンはなく、今の私はいないかった。

 

この大きな崖をアルペン・スノーボードで軽く降り落ちているのがその人、石橋裕司くん。

もう知る人は少ないかもしれないけれど、彼は「バッシー」との愛称で知られた日本初のプロスノーボーダーでスノーボード界のパイオニア。

 

彼は私の人生で出会った「天才」の一人。

 

アルペン・スノーボードはハードブーツを使用し、カービングを主にレースをする競技。

でも彼はこういう↓フリースタイルな技をしたり、

テールだけで滑ったり・・・

モーグルバーンを滑ってきたり、なだれの上の動く雪面を滑ったり、普通ではありえないことをいつもしていた。

 

驚くことにバッシーがスノーボードを始めたのは17歳。
運動神経は鈍い方で、スケートボードはおろか、ジェットコースターなんて危なく乗れないという。
勉強も苦手で、高校もいつの間にか行かなくなったらしい。
そして初めてスノーボードをしたとき、コレ上手く乗りたいなぁって思ったとらしい。

 

しかもこの映像は今からもう15年くらい前のものだから、さらに驚かされる。

 

私が彼と出会ったのは19歳の頃。
お金を貯めるためにニュージーランドから帰国し、Killer Roopのイベントコンパニオンとしてアルバイトをしていた。

 

ある展示会でとても強気に話す彼が現れ、私のことを何処かで見たことがあるという。
確かにニュージーランドで面識があり、私も覚えていた。
すると、突然展示してあったスノーボードを我が物のようにバタッと倒し、

 

「この上に立って、スノーボードする格好してみな。」
と言われた。

 

不思議ながらも言われた通りにすると・・・

 

「うん、いける。俺とニュージー行こうぜ!」
と突然誘われた・・・。

 

???と思っていると、

 

「素質あるよ。俺を信じて着いて来てよ。」
こんな男らしいことを言われたは初めて。
もちろん全てを捨てて、彼とニュージーランドへ渡った。

 

ニュージー入りしたのは5月中旬、そこからマウントハットが山開きするまで2週間過酷なトレーニングがスタート。

 

まず家にいる時、家事をする時も、ご飯を食べるときも、寝る以外はブーツを着用させられ、ブーツに慣れろとの指令。

 

そしてスノーボードの「How to」本を一冊、隅から隅まで読破させられた。
そしてそれについて常に質問攻め。
さらにはテレビは見せてもらえず、彼や他のスノーボーダーのビデオを見させられた。

 

初めてのスノーボードをはかされたのは1週間後。
しかも家の中で、毎日体重移動のトレーニング。

 

彼いわく、頭の中でイメージできていなければ、実際に滑れないという。

 

そしてやっと山開き☆
初めてスノーボードを始めたときは、初心者コースで転びっぱなし。
翌日はひどいムチウチでも、毎朝6時に山へ引きずられていった。

 

そして3日目。
いつものように初心者コースで這いつくばっていると、めずらしく彼が目の前に滑り下りてきた・・・

 

「ミミちゃん、今から一緒に頂上へ行こう。今日は砂漠になってた。あれは1年にあるかないかだから、見なきゃダメだ。」

 

砂漠って何?と聞いても、見なければわからないといい、強制的に頂上へ連れて行かれた。

 

リフトへ乗ると行っても、マウントハットのリフトでは椅子式でないところもある・・・
それはそれは、大冒険。

 

コースでないところまでも誘導され、途中はスノーボードを脱いでハイクアップした。
やっとの思いで開けた光景は・・・・

 

見たこともない雲海。

雲が自分の下にに広がり、その雲の隙間からパッチワークみたいに連なる農場が見えた。
これはメスベン村。

「ボード外して、歩いてごらん!」
と言われ、歩いてみるとまさにそこは砂漠!雪がサラサラで、砂になっている。

 

感動も感動!!!
連れて来てくれたことに感謝。
あの感動は今でも覚えている。

 

そしてあの雪の感触を私にも味合わせたいと思って、戻ってきてくれた彼の思いが痛いほどうれしい。

 

でもそこから・・・・
頂上にいるということは、滑って降りなければいけない。
しかもコースではなく、新雪のパウダー。

 

恐がる私に彼が言った一言。

 

「ミミちゃん、恐いと思うから怖いんだよ。恐いと思ったら頭を斜面につけて見てみな。」
言われるがままにやってみると・・・

 

「平らでしょ。斜面って所詮平らなんだよ。」
この一言を聞いたとき、この瞬間!心の中で何かが音を立てて崩れた。
今考えると、恐怖心?理性?何だったんだろう・・・

 

この一言が私の価値観を180度変えた。

 

そして言われた通りにやってみる。
確かに・・・だんだん目が慣れてきた。
そしていざ滑り出す直前、

 

「ターンしようと思わなくていいよ。真っ直ぐ横に進んで行きな。行き止まりそうだったら、逆に横に進めばいい。それ何回か繰り返したら、下についているよ。」

 

確かにそう、下に行くからスピードが出て恐いのであって、横に行く分には問題はない。
その通りに下へ降りていくと、途中でフワン、フワンと浮いた気分。
サーフィンしたことなんてなかったけれど、そこで初めて

 

「サーフィンってこういうの何だろうなぁ」
って思ったのも、覚えている。

 

そしていつもの初心者コースへ戻ると、いつも滑れなかった斜面が楽勝になっていた!!!

 

不思議。たった一本の頂上からの滑りで大きな成長を経験した。

 

それから2週間後にはマウントハット名物のビレッジレースへ初参加し、スラロームで4位になった。
彼は「初めからのプロセスをビデオ撮っておけば、売れたなぁ・・・」て笑いながら言っていたもの。
レースやカービングにこだわらず、フリースタイルやエクストリーム系の技術も教えてくれた。

 

彼が教えてくれた技術やメンタルは今の私の人生や価値観を大きく変え、彼の影響がなければコンテストも初めなかっただろうし、大きい波にも挑まなかったと思う。

 

今一番お礼が言いたい人。

 

彼の行方を捜し、何とか連絡を取ろう!とインターネットで検索。

 

そしてわかったことは・・・
彼はスノーボード中に事故に合い、下半身不随になった。
そしてその後亡くなった・・・

 

とても残念なニュース。
このことを知り、当時の彼のパートナーの杉本孝次さんと15年ぶりに連絡をとり、毎年マウントハットで石橋裕司に捧ぐメモリアルレースが開催されていると知った。

 

杉本さんは相変わらず素晴らしい人、とても温かい対応をしてくれた。
現在はバートン・スノーボードスクールの校長、また今もニュージーランドでスノーボードキャンプを開催、選手を育成している。

 

でもこれで新たな目標ができた。
いつかまたニュージーランドへ行き、メモリアルレースを滑る!
そのときはサーフボードも持っていこう!

 

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インターネット普及前のイメージ検索は大変・・・
やっと見つけた彼の動画、韓国のサイトで発見。

 

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